決意から十年、厳父を超えた 工学博士への道
これまでで一番感動したことは?という質問に川﨑芳樹(52)は、こう答えた。
工学博士号の取得を父に報告したときです。厳しかった父が初めて
芳樹の方が私より優れている
と。いまは亡き母が生きていたら、と思うと涙があふれました
川﨑は1945年7月19日、弟と妹がいる三人きょうだいの長男として熊本市で生まれた。
父の獺雄(たつお)は金属学を修めた工学博士で、現在は熊本大学の名誉教授。
幼かったころ、こんなエピソードがある。
父は、水の入ったコップに割りばしを入れて息子たちに尋ねた。
まっすぐな橋がなぜ曲がって見えるんだろう
家族でハイキングに行った。登った立田山から眼下を眺めると、電車が小さく見える。
おもちゃみたいだね
父にそそのかされた幼児は、そばまで行って確かめることにした。
わあ、大きい不思議だなあ、と思う。
でも、父は答えを口にしない。現象を見せる。それから先は、まず自分で考えなさい、というわけだ。
私にとっての父は、最も尊敬する人物であると同時に、父を超えることが目標でもありました
川﨑は、県立熊本高校を69年3月、早稲田大学理工学部を卒業。いすゞ自動車に入社した。
開発部門の研究、実験に三年間かかわったあと、生産技術部の工具課へ。
そこでの解析論文が認められ、海外講演をしたほど。30歳の時、当時の川崎工場長、小西帝一
(のちの専務、故人)は
小西工場長の指示がなかったら、いまの私は・・・。しかし、歯車について誰も教えてくれません。なんとか輪郭をつかむまでに1年かかり、それから現場に飛び込みました
川﨑は
読書百遍意自ら通ずとばかりに、難解な転位歯車(中田孝著)をそれこそ百遍以上読んでいる。
博士号の挑戦を決意してから取得まで、ほぼ10年の道のりがある。
我が国における歯車工学の権威、京都大学教授の久保愛三に接したのがきっかけになったそうだ。
95年10月、社会人特別選抜生として京大大学院工学研究科に合格。
97年11月に
精密工学専攻博士課程を終了した。
通常は、博士修得まで最短でも3年かかるといわれるだけに1年早い。にも拘わらず川﨑は 1年で習得を目指した。延長してしまい会社に申し訳ないという。 大学院生と管理職(コンポーネント工場長―技術開発部長)を両立させる難しさは、門外漢の想像 をはるかに超える。
=文中敬称略=
*かわさき・よしき いすゞ自動車 技術開発部長 工学博士 技術士
ジャーナリスト 島谷泰彦
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