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歯車技術士事務所 川崎芳樹


平成10年(1998年)4月7日日本工業新聞日刊掲載記事

平成の名匠 最先端の技術者・研究者たち

歯車博士 川崎 芳樹さん(2) いすず自動車

決意から十年、厳父を超えた 工学博士への道

これまでで一番感動したことは?という質問に川﨑芳樹(52)は、こう答えた。平成の名匠連載2回目歯車博士川崎芳樹さん

工学博士号の取得を父に報告したときです。厳しかった父が初めて

芳樹の方が私より優れている
と。いまは亡き母が生きていたら、と思うと涙があふれました

川﨑は1945年7月19日、弟と妹がいる三人きょうだいの長男として熊本市で生まれた。
父の獺雄(たつお)は金属学を修めた工学博士で、現在は熊本大学の名誉教授。

幼かったころ、こんなエピソードがある。

父は、水の入ったコップに割りばしを入れて息子たちに尋ねた。

まっすぐな橋がなぜ曲がって見えるんだろう

家族でハイキングに行った。登った立田山から眼下を眺めると、電車が小さく見える。

おもちゃみたいだね

父にそそのかされた幼児は、そばまで行って確かめることにした。

わあ、大きい
不思議だなあ、と思う。

でも、父は答えを口にしない。現象を見せる。それから先は、まず自分で考えなさい、というわけだ。

私にとっての父は、最も尊敬する人物であると同時に、父を超えることが目標でもありました
川﨑は、県立熊本高校を69年3月、早稲田大学理工学部を卒業。いすゞ自動車に入社した。

開発部門の研究、実験に三年間かかわったあと、生産技術部の工具課へ。 そこでの解析論文が認められ、海外講演をしたほど。30歳の時、当時の川崎工場長、小西帝一 (のちの専務、故人)は歯車をやれという。

小西工場長の指示がなかったら、いまの私は・・・。しかし、歯車について誰も教えてくれません。なんとか輪郭をつかむまでに1年かかり、それから現場に飛び込みました

川﨑は

読書百遍意自ら通ず
とばかりに、難解な転位歯車(中田孝著)をそれこそ百遍以上読んでいる。

博士号の挑戦を決意してから取得まで、ほぼ10年の道のりがある。

我が国における歯車工学の権威、京都大学教授の久保愛三に接したのがきっかけになったそうだ。
95年10月、社会人特別選抜生として京大大学院工学研究科に合格。
97年11月に 精密工学専攻博士課程を終了した。

通常は、博士修得まで最短でも3年かかるといわれるだけに1年早い。にも拘わらず川﨑は 1年で習得を目指した。延長してしまい会社に申し訳ないという。 大学院生と管理職(コンポーネント工場長―技術開発部長)を両立させる難しさは、門外漢の想像 をはるかに超える。

=文中敬称略=

*かわさき・よしき いすゞ自動車 技術開発部長 工学博士 技術士

ジャーナリスト 島谷泰彦

次回 世界最高品質を生み出す礎 オペルに学ぶ

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