世界最高品質を生み出す礎 オペルに学ぶ
五十の手習い、といったら軽すぎる。歯車博士の川﨑芳樹(52)は3年前、工学博士号に挑み、2年間で結実させた。
正直にいって頭は堅くなっているし、心身両面きつかった
単位は、教授上京時における出張講義受講や面接試問、リポートテスト、技術発表などで取得している。
最大の苦労は、博士論文の作成でしたね。博士論文はプロセス重視であり、いわば小説を書くようなもの。ところが、これまで何回も会社に提出してきた技術報告書は結果重視、いわば随筆なんです。 思考回路を切り替えるのが大変でした
学者と技術者、大学と企業、個人と組織人。あまりにも考え方が違う。そしてコスト意識の有無。 川﨑としては戸惑いながら走り続けたのだ。とはいえ、川﨑には歯車製造の理論と実践に没入して 約20年のキャリアがある、なかでも30歳代の終わりごろ、オペルの2人の幹部社員に 出会ったことが大きい。
ひとりは、卓越した設計エンジニアのドロット。もう一人は歯車つくりの神様コーザー。 川﨑は、ドロットの図面を見てびっくり。工具のことまでくわしくふれているではないか。
一方、現場人間のコーザーからは、モノづくりのノウハウをあますことなく教えてもらった。
歯車は育ち(製造)で決まる、と言われたことが忘れられません提携関係にあるドイツのオペルには、何度となく出かけた。それは89年5月新設のグループ組織 ギヤラボにつながり、世界最高品質の自動車歯車を生むことになる。
変速機、つまりトランスミッションの生産は、それまで製造と品質管理に分かれていた。
その二つに生産技術と工具部門を加え、さらなる品質向上とコストダウンをはかろう、というのが ギヤラボだった。
発足当初は、川﨑をリーダーにスタッフは6人。5年後、38人にまでふえたが、95年、 コンポウネント工場に吸収されている。川﨑は、それより先の88年韓国の大宇自動車に派遣され、 同社製トランスミッションの生産技術面で大きく貢献した。
韓国の技術者技能者のひとりひとりは、 優秀ですね。でも、チームプレーになると、少し様子が変わってくる。そこで私は教えるのではなく 一緒に汗をかこうと。反日感情を抜きに、みんなついてきてくれて感激しました
教えたり教えられたり。川﨑はきっぱりと言う。私は、人と仕事に恵まれました
=文中敬称略=
*かわさき・よしき いすゞ自動車 技術開発部長 工学博士 技術士
ジャーナリスト 島谷泰彦
All rights reserved. (c) Yoshiki Kawasaki Limited 2019.