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歯車技術士事務所 川崎芳樹


平成10年(1998年)4月8日日本工業新聞日刊掲載記事

平成の名匠 最先端の技術者・研究者たち

歯車博士 川崎 芳樹さん(3) いすず自動車

世界最高品質を生み出す礎 オペルに学ぶ

五十の手習い、といったら軽すぎる。歯車博士の川﨑芳樹(52)は3年前、工学博士号に挑み、2年間で結実させた。

正直にいって頭は堅くなっているし、心身両面きつかった
平成の名匠連載3回目歯車博士川崎芳樹さん

単位は、教授上京時における出張講義受講や面接試問、リポートテスト、技術発表などで取得している。

最大の苦労は、博士論文の作成でしたね。博士論文はプロセス重視であり、いわば小説を書くようなもの。ところが、これまで何回も会社に提出してきた技術報告書は結果重視、いわば随筆なんです。 思考回路を切り替えるのが大変でした

学者と技術者、大学と企業、個人と組織人。あまりにも考え方が違う。そしてコスト意識の有無。 川﨑としては戸惑いながら走り続けたのだ。とはいえ、川﨑には歯車製造の理論と実践に没入して 約20年のキャリアがある、なかでも30歳代の終わりごろ、オペルの2人の幹部社員に 出会ったことが大きい。

ひとりは、卓越した設計エンジニアのドロット。もう一人は歯車つくりの神様コーザー。 川﨑は、ドロットの図面を見てびっくり。工具のことまでくわしくふれているではないか。

一方、現場人間のコーザーからは、モノづくりのノウハウをあますことなく教えてもらった。

歯車は育ち(製造)で決まる、と言われたことが忘れられません
提携関係にあるドイツのオペルには、何度となく出かけた。それは89年5月新設のグループ組織 ギヤラボにつながり、世界最高品質の自動車歯車を生むことになる。

変速機、つまりトランスミッションの生産は、それまで製造と品質管理に分かれていた。

その二つに生産技術と工具部門を加え、さらなる品質向上とコストダウンをはかろう、というのが ギヤラボだった。

発足当初は、川﨑をリーダーにスタッフは6人。5年後、38人にまでふえたが、95年、 コンポウネント工場に吸収されている。川﨑は、それより先の88年韓国の大宇自動車に派遣され、 同社製トランスミッションの生産技術面で大きく貢献した。

韓国の技術者技能者のひとりひとりは、 優秀ですね。でも、チームプレーになると、少し様子が変わってくる。そこで私は教えるのではなく 一緒に汗をかこうと。反日感情を抜きに、みんなついてきてくれて感激しました

教えたり教えられたり。川﨑はきっぱりと言う。私は、人と仕事に恵まれました

=文中敬称略=

*かわさき・よしき いすゞ自動車 技術開発部長 工学博士 技術士

ジャーナリスト 島谷泰彦

次回 誤差あって一番とれる 異人種交流の夢

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